あなたの痛みを分かってくださるお方

四十七日目

あなたの痛みを分かってくださるお方

Meghan Ryan Asbury

こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って
元の上着を着せ、それから十字架に付けるために引き出した。
(マタイ 27:31)

齢を重ねるにつれ、わたしは痛みを避けるためなら何でもするようになりました。それが物理的に冒険を避けることであろうと、人間関係が引っ込み思案になることであろうと、霊的にも前ほど期待しなくなることであろうと、わたしの目標は傷つかない位置に身を置くことです。これは、知恵と指示を仰いだ結果でもありますが、たいていの場合、自分を守ろうとし、状況をコントロールしようとする立場から来るものです。とは言え、どれもいつも完璧にこなせているわけではありません。

聖書の一部の個所を読まずに済まそうと思うこともありますが、それは、その個所が辛いからです。今日の一節は、聖書の中でも最も辛い季節の一つではないかと思います。でも、わたしは、イエスが捕らわれ、苦しめられ、「良い結果を出す」ために、十字架に付けられた個所を飛ばし読みしないことにしました。イエスがどなたであられ、私たちのために何を為されたのかを理解するためには、痛みと苦しみの最中に立ち止まる必要があります。

一夜にして、イエスは友の一人から金銭のために裏切られ(マタイ 26:47-48)、最も辛いときに、愛していたもう一人の友から、そんな人は知らないと言われてしまいます(69-74)。イエスは不当に告発され、罪人として扱われ、十字架刑を宣告されました。それは、イエスの裁判を担当した人が、自分がイエスを弁護したら人々にどう思われるかを恐れたからでした(27:24)。

こうしたトラウマの一つでも、人を感情的に外してしまうのに充分ですが、そのすべてが揃ってしまえば、耐えがたいものになります。あの身体的苦しみに加えて、イエスはさらに、茨の冠を被せられ(29節)「鞭打たれる」という、鋲の付いた鞭で打つローマ流の鞭打ち刑まで、耐え忍ばねばなりませんでした。あまりにもむごいことです。

けれども、それにもかかわらず、イエスは神のご計画に従う道をお選びになりました。
イエスはユダが裏切るであろうことをご存知でしたが、仲間に入れられた。
イエスはペテロが自分を否むであろうことをご存知でしたが、なおも彼を愛された。
イエスは御自分が無罪であることをご存知でしたが、沈黙を貫かれた。
イエスは何を為すべきかをご存知だった。

この世の中の罪の重さがイエスの肩に背負わされたのです。けれども、世に拒絶されても、イエスは復活の訪れをご存知でした。
イエスが居てくださらなかったら、私たちの罪は神の居られる永遠性から引き離されてしまいます。イエスに信頼することによってのみ、私たちは神の御前で無罪とされるのです。だからこそ、イエスがあのように素晴らしい福音であられるわけです。

私たちには、イエスのお苦しみの深さを理解することは決してできませんが、イエスは私たちの苦しみの深さを分かってくださいます。どんな裏切りや、どんな否定や、どんな拒絶を体験しようとも、そのすべてをイエスは理解してくださいます。イエスは「悲しみの人、嘆きを知る人」(イザヤ 53:3)であったからです。

友よ、夜を迎えるにあたり、この真理にしがみ付きましょう:確かにイエスはお亡くなりになりました。でも、イエスは死に勝利されたのです。ですから、あなたが直面しておられる辛い状況は?イエスがあなたと共に居られます。どのような状況であろうと、それは過ぎ去っていきます、なぜなら、あなたの痛みを分かってくださるお方が痛みを永遠に終わらせてくださるからです(黙示録 21:4)。

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イエスさま、御身の犠牲的な愛に、そしてわたしが神の御前に無罪で居られるように、わたしの罪を担ってくださったことに感謝いたします。御身の福音の佳き知らせを飛ばし読みしないように、御身が道を開いてくださったがゆえに、御身を知り愛することができますように助けてください。これまで御身を如何に拒絶して来たかを思い、ゆるしを乞います。御身を愛しています。御身の御名によって、アーメン。

私たちには、イエスのお苦しみの深さを理解することは決してできませんが、
イエスは私たちの苦しみの深さを分かってくださいます。